千花庵歳事記
  2008年10月
  2008年8月
  2008年7月
■千花庵歳事記
源頼朝の墓
 大倉幕府跡の桜並木を東に100メートル進んで、そこを左に折れ、清泉小学校に沿ってさらに100メートル進むと左側に頼朝公園があり、山に向かって石段が続きます。この山が大倉山で、南中腹に国の史跡に指定をされている源頼朝の墓があります。
 石段をのぼると木立に囲まれた広場に出ます。その正面の玉垣の中の層塔(※1)が頼朝の墓です。
 昔は約1メートルばかりの五輪の石塔であったものを、1779年(安永8年)頼朝の子孫だという薩摩藩主・島津重豪(しげひで)によって大御堂から現在の層塔が移されたそうです。この場所からは、頼朝のつくった大倉幕府の敷地が一望のもとにながめられます。
 頼朝は平治の乱の後、伊豆の蛭ガ小島の流されましたが、1180年(治承4年)8月17日に浜をあげて、幾多の苦労に打ち勝って、同年10月、鎌倉に入って武家政治の基礎を確立しました。1198年(建久9年)頼朝は相模川に橋をかけ、帰りに落馬したことが原因ともいわれて、翌年の1199年(正治元年)の正月53才で亡くなりました。
 1211年(建暦元年)、鴨長明(※2)が頼朝の墓にお参りして昔のようすを思い浮かべ、
「草も木も なびきし秋の霜消えて空しき苔を払う山風」
と読みました。
※1・層塔=屋根が幾層にも重なっている塔。三重・五重の塔の数
※2・鴨長明 (かものちょうめい・1155-1216)鎌倉初期の歌人・随筆作者。下鴨陣社の禰宜長継の次男。俗名・長明(ながあきら)。法名・蓮胤。和歌を俊恵に学び、和歌所寄人となる。50才頃出家。著 「万丈記」・「無名抄」・「発心集」
−かまくら子ども風土記−参照
(2008.10.06)
掲載についてサイトマップお問合せ

大蔵頼朝商店会・・・www.yoritomo.info